【あの日からの地続き】

小さな唇から弾けた「りんご」から「らっぱ」へのしりとりに目を細め、日常の愛おしいリズムに足の裏をぴったりとつけた月曜日が過ぎていきました。あの日約束した穏やかな地平のまま、新しい火曜日の太陽が我が家の窓を跨いできました。

【日常の輪郭】

朝一番は、迫りくる雨予報の雲の動きを睨みながら、現場の仲間たちと来週の稼働日を組み替える業務連絡に奔走していました。写真や展開図、日報に温度管理表。そんな無機質な書類の山を遠隔で処理しながら、私の頭はふと、突拍子もない未来の哲学へと迷い込んでいました。

「もしもいつか、世界からお金という仕組みの価値が消え去ってしまったら、一体何が残るんやろうな」

世間では持たない暮らし(ミニマリズム)がもてはやされているけれど、案外、現金なんていう実体のない数字よりも、泥臭く手元に残した資産や、目に見える『モノ』の集積こそが、最後の最後に価値の保存袋になるんじゃないか。そんなとりとめのない思索をデスクの片隅に置き去りにして、私は夕方の帰路につきました。

玄関を開けると、そこにはすでに弾けるような子どもたちの歓声が満ちていました。 今日は長女の仲良しのお友達が、小さくて行儀の良い背中を丸めて我が家に遊びに来てくれていたのです。 「これ、どうぞ!」と差し出されたみずみずしい果物のグミのお菓子。それを、お礼もそこそこに驚くべきスピードで独り占めして平らげてしまう食欲旺盛な我が家の長女。 「なんであなた、全部独り占めしてるのよ」と苦笑いする私をよそに、食卓は一気に賑やかなお喋りの戦場へと変わっていきます。

「ねえパパ、スクイーズって知ってる?」 小さな唇から飛び出した新しい流行の言葉。聞けば、ぷにぷにとした柔らかい触感の玩具のことをそう呼ぶらしい。お友達からそんな現代の知識を教えてもらいながら、私は台所で特製のカレーを大きな鍋でコトコトと煮込んでいました。

かつて耳にした、「若い頃は薬のように食事を摂れ。年を取ると、食事のように薬を飲まないかんようになる」という誰かの深い言葉が、スパイスの匂いとともに胸に去来します。だからこそ、今こうしてみんなで囲む食卓の温かさが、何よりの栄養なのだと染み入るように感じていました。

夜、寝室で子どもたちにせがまれるまま、イノシシとイタチが奇妙な言い争いをする自作のお話を語って聞かせます。「コブと言ったらお前はコブんだ!」と少しおどけた声で演じてみせると、布団の中からクスクスと小さな笑い声が漏れ聞こえてきました。

思考が優しい闇に溶けていく直前、私はいつものように自分のフルネームを心の中で静かに呟いていました。書類の計算に追われ、未来の不確かな経済を憂う不器用な経営者。けれど同時に、子どもたちの持ってきたぷにぷにしたオモチャの感触に驚いている、ただの父親。その泥臭い体温が、確かにそこにありました。

【その瞬間のきらめき】

未来の私が人生の終盤にこのページをめくるとき、お金の価値がどう変わったかという大層な考察など、きっと綺麗さっぱり忘れているに違いありません。 覚えているのはきっと、あの夕方に台所から漂っていたカレーの匂いや、お友達が持ってきてくれたグミを必死に頬張っていた長女の横顔だけです。どれだけ時代がデジタルに傾き、形のないものが主役になろうとも、私たちが触れ合える「有形の愛おしさ」のなかにしか、本当の幸福はないのだと、あの日バタバタと過ぎ去った火曜日の私が未来のあなたへ教えてくれています。

【明日へのあしあと】

子どもたちが静かな寝息を立て始め、リビングには心地よい静寂が戻ってきました。夕方に訪れる予定だった仕事仲間からの連絡で、到着が少し遅れるという小さな予定変更もありましたが、それすらも夜の段取りをゆったりと楽しむスパイスに変わっていました。

明日はまた、新しく始まる現場のために大量の施工書類をカチッと組み立て、天候の隙間を縫うように次の段取りを指揮するシビアな朝がやってきます。

今ここにある確かな家族の温もりを鞄に詰めて進む明日は、きっといい日になりそうだ。

それでは、また明日。