【あの日からの地続き】

スパイスの匂いがほんのりと残る台所と、イノシシとイタチが言い争う奇妙なお話の余韻を布団の中に残したまま、新しい朝がやってきました。ぷにぷにとした子どもの玩具の手触りのように、どこか柔らかで、それでいて目まぐるしい一日の始まりです。

【日常の輪郭】

朝一番、久しぶりに手にした情報端末を前に、私は眉間にシワを寄せていました。「最近これを使ってないな……設計図の書面は一体どこに入ったんや。使いにくいなやっぱり」と、進歩するテクノロジーの速度に少しだけ苛立ちを覚え、思わず口から言葉がこぼれます。 「昭和の正義は、令和の悪やけどな、今」 時代の価値観がガラリと裏返る速度に苦笑いしながら、私はいつもの現場へと車を走らせました。

日中はいくつかの現場を忙しく回り、地面の高さや施工の進め方について、プロとしての的確な指示を次々と下していきました。来月はじめの月曜日からスタートする大きな案件の段取りも、電話一本できれいに整えます。 休憩時間、仲間と「苦労の本質」について、少し大層な哲学を語り合いました。私たちが日本で語る日々の苦労なんて、世界の果ての過酷な国々で人々が直面している生きるための闘いに比べたら、本当に贅沢で相対的なものに過ぎない。もし将来、お金そのものの価値が消え去ってしまったら、実体のない数字に投資していた人々はみんな呆然とするんじゃないか――そんな、形のない未来への妄想に少しだけ胸を躍らせていました。

「メッセージアプリで重要書類をポンポン送るなんて、うちのセキュリティも大雑把で笑えてくるな」と、専門の担当者を前に自嘲気味に笑う一幕もあり、多忙な実務のなかにも私らしいウィットが散りばめられていました。

夕方、我が家に嬉しい来客の女性が訪ねてくれました。 人見知りをするかと思いきや、子どもたちが驚くほどすぐに懐き、リビングの真ん中で無邪気に笑い転げています。その様子を台所の陰から温かく見守りながら、「いやぁ、子どもの扱いに慣れとるなぁ。上手、上手、上手」と、私は相好を崩していました。

ふと視線を落とした部屋の隅には、ずっしりとした佇まいを残す、亡きお父様の形見である大画面のプラズマテレビが静かに眠っています。壊れて映らなくなってしまったそれを、近いうちにきちんとした修理に出そうと心に決めました。同時に、買ったばかりでどこかへ紛失してしまった小さな接続アダプタの行方を、少しだけ呑気に捜し始めていました。

思考が夕暮れの気配に包まれるなか、私はいつものように自分のフルネームを心の中でポツリと呟いていました。新しい機械の操作に手こずり、失くした小物を捜して右往左往している不器用な男。けれど、形見のテレビの重みを愛おしみ、我が家を訪れる人々の体温を何より大切にしようとしている、ただの父親。あの日の私の、少し疲れた、けれど確かな笑顔がそこにありました。

【その瞬間のきらめき】

未来の私が人生の終盤にこのページをめくるとき、失くしてしまった安価なアダプタの行方や、情報端末のフォルダが見つからずにイライラしていたことなんて、きっと愛おしい笑い話に変わっているはずです。 激動する時代の中で「昭和」と「令和」の狭間に立ち、私たちは何が正義かを問い続ける。けれど、本当に守るべきものは、お父様が残してくれた古いテレビの思い出や、我が家のリビングで来客とはしゃぐ子どもたちの、あの突き抜けた笑い声のなかにしかありません。実体のない数字を追いかけるよりも、目の前にある「有形の愛おしさ」をひとつずつ丁寧に修理しながら生きていこうと、あの日の私が静かに語りかけています。

【明日へのあしあと】

夜、静かになった部屋で、新しい音楽のアイデアが小さく芽吹いていました。「2〜3人の小さな編成で、お年寄りの個人宅へ生演奏を届けに行く出張サービスなんて、きっとすごく喜ばれるんじゃないか」。そんな温かいエンターテインメントの設計図が、胸の中に広がっていきます。

明日はまた、来月からの新しい現場に向けて、写真や施工の書類を美しく組み立てる実務の朝がやってきます。雨予報に先回りして、メンバーの配置を再調整するタスクも残っていますが、今の私の足元は少しもぶれていません。

大切な記憶の品をそっと撫で、家族の寝息を聞きながら進む明日は、きっといい日になりそうだ。

それでは、また明日。