【あの日からの地続き】

いよいよ明日に迫った南国への研修旅行を控え、胸の高鳴りを隠しきれない夜を過ごしていました。仕事の引き継ぎは大枠で終えたものの、旅立つ直前特有のあのそわそわとした空気のなかで、今日という濃密な一日が始まりました。

【日常の輪郭】

旅支度を整える合間を縫って、私はいつものようにスマートフォンの画面と睨み合い、遠隔で現場のライン引き作業の段取りをテキパキと差配していました。自分が南の島にいる間も、現場がミリ単位の正確さで動くように先回りで手を打つ。その一方で、少しばかり悲鳴を上げ始めていた自分の身体を労わるために、白い壁のクリニックの椅子に腰を下ろしていました。

「先生、どうしてもストレスが溜まると、お菓子を口に放り込みたくなるんですよね」 苦笑いしながら相談する私に、医師は穏やかな目元で「禁煙と同じですよ。お菓子が恋しくなったら、まずはガムに置き換えて口を動かしてみましょう」と、小さくて確かな処方箋をくれました。

その言葉を噛み締めながら思い出したのは、日中に考えていた建物の外壁塗装のことでした。完全にバキバキに割れて崩壊してから直そうとすれば、すべてを剥ぎ取らなければならず、驚くほどのコストがかかってしまう。けれど、その手前の小さなひび割れの段階でそっと手を打ってやれば、最小限の手間でいくらでも建物を延命させてやることができる。

「人間の体も、ビジネスも、まったく同じやな……」

壊れる前に先手を打つ。その確かな手応えは、新しい移動販売の事業を広げるために練っていた、まとまった設備投資の計画とも美しく重なり合っていました。高性能のオーブンや車載用の冷凍庫を揃える未来の設計図を広げながら、「売り上げの数字が派手なだけやなくて、中身の利益がきっちりと残る。これこそが最高の形や」と、独りごちていました。

夜、リビングの絨毯の上にリュックを広げ、毎朝飲む十四錠の薬とサプリメント、そして旅先でも仕事ができるようにとiPadとキーボードを丁寧にパッキングしていきます。ふと、一緒に行く仲間たちの顔が浮かび、私はクスッと笑ってしまいました。 「全員がリュック一つで身軽に行けば最高やのに、あいつらは絶対に大きなスーツケースを引いて来るんよな。結局、到着口でみんなでその荷物を待つことになるんや」

そんな他愛のない愚指令を頭の中で組み立てながら、私のユニークな思考のアンカーである「自分の名前」を心の中でポツリと呟いていました。未来の私が読み返したときに「ああ、この時も相変わらずだな」と目を細めるであろうその口癖は、忙しない日々のなかで自分自身を見失わないための、確かな道標のようでした。

【その瞬間のきらめき】

未来の私が人生の終わりにこのページをめくるとき、きっと旅のワクワク感以上に、出発前夜のこの静かな静寂を愛おしく思い出すことでしょう。 外壁のひび割れと同じように、心も体も、そして愛する家族や事業も、壊れてしまう前にそっと手を差し伸べ、メンテナンスをしてやることの本当の価値。完璧ではない、お菓子に釣られてしまう泥臭い自分を認めながらも、常に一歩先を照らそうとしていた当時の私の確かな体温が、この夜のパッキングのなかに息づいています。

【明日へのあしあと】

明日の朝は、午前八時半のロビー集合という約束を仲間たちと最終確認し、いよいよ南国の青い空へと飛び立ちます。

旅先から遠隔で現場のトラブルに対応しなければならないかもしれないという小さな緊張感や、新しく構想している即席バンドで来月演奏する大曲の練習時間が「あとほんの数回しかない」という未解決の焦りもカバンに詰め込んで。けれどまずは、明日の朝食の美味しい匂いを楽しみにしながら、深く静かな眠りにつくこととします。

明日も、きっといい日になりそうだ。

それでは、また明日。