【純度の高い氷の作り方と、あっさりと断られた臨時の特等席】
【あの日からの地続き】
他人の顔を自分に降ろし、あの頑固な地元のおじいさんを必死になだめすかした現場の気疲れ。そして、カレンダーの過密スケジュールを前に脳裏をよぎった、準備不足で失敗する時のあの独特な「肌感覚」をかすかに引きずりながらも、新しい朝はまた、容赦なくも愛おしいテンポで幕を開けました。
【日常の輪郭】
まだ家族が起きてこない早朝の静寂のなか、私は少しだけ没頭しているゲームの仮想世界にログインし、サバイバルに精を出していました。一見、何に使うのかも分からない無駄な道具を画面の中でコツコツと組み立てながら、ふと、胸の奥にひとつの言葉が浮かび上がります。 「一見いらなさそうに見えるものでも、まずは作ってみるもんやな。何が自分の生活の足しになるか、分からんもんや」 そんな奇妙な知性をベッドの中に置き去りにして、私の多忙な一日が本格的に動き出しました。
日中は、明日の朝一番に控えたお役所の現場視察を万全に迎えるため、関係各所への書類の手配や段取りの調整に電話一本でテキパキと先回りの手を打っていきました。不足していた舗装の材料承認の履歴をメールで急ぎ取り寄せ、現場の重機たちの勇姿を日報用にカメラに収める。
その一方で、頭のもう半分の領域では、新しく仕掛ける移動販売の作戦会議が白熱していました。不在の時に店舗の前にそっと置いておく、大人の胸元ほどもある黒背景に丸字で「本日出張中」と書かれたシックな両面看板の仕様。パリッとした最高の食感を生み出すために、レンジで一度温めてから油で揚げるフランクフルトの調理法。そして、水を凍らせる過程で不純物が凍りつく前に下の水を思い切って捨て去ることで、ダイヤモンドのような純度を持つ美味しいかき氷用の氷を自作する科学的なアプローチ。
けれど、手帳を開けば、来月以降の日曜日は地域のお祭りや楽団の練習、出店の予定で真っ黒に埋め尽くされていました。 「本当に休みがないな……。日曜日がすべてイベントで消えていく」 贅沢で、けれど確実に自分のキャパシティの限界を削っていくスケジュールに、車内で小さくため息を漏らしていました。
夕方、私は気持ちを切り替えて、次女を車に乗せて習い事の音楽教室へと向かいました。 後部座席で少しだけ機嫌を損ねてぐずっている彼女の気を引こうと、私はバックミラー越しに必死のネゴシエーションを試みます。 「じゃあさ、あっちの駐車場に着いたら、パパのスマートフォンで大好きな動画を見せてあげるから。ね?」 臨時の特等席をハサミのように差し出した私に対し、次女は冷ややかな目で私を見つめ、ポツリと言い放ちました。 「誰に?」 「……(次女)に、やけど」 「もう、いい」
あっさりと一蹴された臨時の提案。多くの親が経験するであろう、そのあまりにもリアルで愛おしい親子の駆け引きに、私はハンドルを握りながら思わず吹き出してしまいました。 教室に到着すると、地元の先生から「これ、畑でたくさん採れたから持っていき!」と、袋いっぱいにずっしりと重い真っ赤に熟したトマトを手渡されました。その瑞々しい匂いと、地域コミュニティのじんわりとした温かさが、一日の激闘でカサカサに乾きかけていた心に染み渡っていきました。
夜、静かになった部屋で、私はいつものように自分のフルネームを心の中でポツリと呟いていました。現場の段取りをミリ単位で差配し、移動販売の利益を冷徹に計算しているせっかちな代表。けれど同時に、ゲームの無駄な道具に人生の真理を見出し、娘の「もういい」の一言にフラれて苦笑いしている、ただの父親。あの日の私の、少し疲れた、けれど最高に人間らしい体温が、そこには確かに息づいていました。
【その瞬間のきらめき】
未来の私が人生の終盤にこのページをめくるとき、あの夏にどれほど手帳が過密だったかとか、材料の承認書類がどうなったのかなんて、きっと雲の彼方の出来事に変わっているはずです。 覚えているのはきっと、車内で次女にすげなく断られたあの瞬間の車内の空気や、手渡されたトマトのあの甘い匂いだけ。「できない理由」を真っ先に探して何もしない退屈な生き方を拒み、一見無駄に見える遠回りすらも「何かの足しになる」と信じてすべてを血肉に変えていくこと。どれだけ多忙を極めようとも、不純物をそっと削ぎ落としたあの純度の高い氷のように、心の真ん中にはいつも澄み切った家族への愛を湛えていたいと、あの日の私が静かに語りかけています。
【明日へのあしあと】
娘たちが真っ赤なトマトを美味しそうに頬張る姿を見守りながら、リビングの静寂のなかで明日の朝一番の段取りを静かに整えています。不在時用のシックな黒い看板の最終発注や、楽団の煩雑な会計システムをよりスマートなデジタル決済へと移行するための小さなアイデアを頭の片隅に転がしながら。
明日の朝の少し引き締まった時間には、お役所の担当者たちが材料の温度確認のために現場にやってくる、シビアな立ち会いの本番が待っていますが、今の私の足元は少しもぶれていません。
無駄なことなんて何一つないと信じて進む明日は、きっといい日になりそうだ。
それでは、また明日。
