【ゼロを消す指先と、大人のカンニングが教えてくれた商売の青空】
【あの日からの地続き】
激しかった雨が静かに上がり、子どもがくれた「ハイパー大吉」の包み紙を大切にポケットにしまった翌朝。あの日心に決めた通り、土場に眠る大型重機の古いエンジンをそっと回し、眠れる鉄の息吹を確かめてから、私の新しい一日が動き出しました。
【日常の輪郭】
朝一番、私の心はまたしても楽団の、容易には解けない人間関係の糸に囚われていました。 技術を重んじて最高の音を届けたい自分と、過去の積み重ねや波風を立てないことを尊ぶ周囲の空気。実力のある新メンバーを中央に据えたいけれど、古参のベテランメンバーのプライドをどう傷つけずに伝えるべきか。「お前たちが足を引っ張っているんだと、はっきり言わなければ何も変わらんのではないか」という苛立ちが、胸の奥で燻っていました。 「昭和の正義は、令和の悪やけどな、今」 昨日呟いたその言葉が、また皮肉なブーメランのように頭をよぎります。
そんなもやもやを抱えながら、日中は新しく仕掛ける移動販売のための印刷物を、ネットの専門店で発注する実務に没頭しました。角を丸くしたり、特殊な光沢をつけたりする華やかなオプションを勧められましたが、「そんな見栄の足し算はいらん」と冷徹に削ぎ落とし、一番シンプルな紙質でまとまった部数を注文しました。ささやかな必要経費の確定ボタンをカチリと押しながら、商売の絶対的な原則を心に刻みます。 「自分たちが売りたいものを売るんじゃない。相手が欲しいものを売るからこそ、商売は回るんや。そこにいかに早く気づくかやな」
午後からはガラリと表情を変えて、長女の通う学校の行事へと足を運びました。 体育館の冷たい床の上で、子どもと一緒に四つん這いになりながら、汗を流して挑んだ「親子体幹トレーニング」。普段の現場仕事とは違う筋肉を使いながら、「パパ、がんばれ!」と隣で必死にバランスを取る娘の笑顔を見つめていると、楽団のしがらみで凝り固まっていた背中が、心地よく伸びていくのが分かりました。
夕方、我が家の机で長女に算数を教えていたとき、ふと、日中に目にした「大人はカンニングしてもいい。他人の力を借りられる人ほど成功する」という言葉が頭に浮かびました。 割り算の難しい理屈を長々と説明するのをやめ、私は彼女のノートの数字を指さしました。 「いいか、難しいことは抜きや。この終わりの『0』を、二人で一緒にピッて消してみ。ほら、終わり」 何も言わずに0を消されたノートを見て、長女の目がパッと輝きました。「あ、わかった!」 理屈じゃない。何も言わずにピピッてやって「分かった」と言った瞬間、彼女のなかで直感が繋がったのです。子どもには正論を教えるのに、大人になった自分は最新の対話型AIの手を借りて書類の要約を作ったり、他人の知恵を借りたりして「大人のカンニング」を日々実践している。その矛盾が妙におかしく、そして愛おしく感じられました。
夜、静かになったリビングで、私はいつものように自分のフルネームを心の中で静かに呟いていました。合理的な正論をぶつけて孤立しかけ、大人のカンニングのズルさに苦笑いしている不器用な経営者。けれど、娘のノートの「0」を一緒に消してやって、直感が繋がった瞬間に誰よりも救われている、ただの父親。あの日の私の、少し誇らしげな横顔がそこにありました。
【その瞬間のきらめき】
未来の私が人生の終盤にこのページを開くとき、楽団のあのメンバーにどう意見を伝えようかと胃を痛めていたことなんて、きっと愛おしいかすり傷に変わっているはずです。 私たちは大人になるにつれて、正論という重い鎧をまとい、物事を難しく考えてしまいがちです。けれど、人生の正解にたどり着くルートは、決して一つではありません。長女のノートの「0」を消し去ったあの指先のように、余計なノイズを引き算して、直感を信じてショートカットを選んでもいい。「相手が欲しいものを差し出す」というシンプルな商売の原点に立ち返れば、閉ざされていた扉はいつだってスルスルと開くのだと、あの日の私が教えてくれています。
【明日へのあしあと】
子どもたちがすやすやと眠る寝息を聴きながら、明日の朝一番の段取りを確認しています。発注したばかりのシンプルなチラシが我が家に届く日を楽しみに待ちつつ、楽団の古参メンバーに対して、傷つけるためではなく「未来の最高の響き」を作るために、どんな言葉のパスを送るべきか、もう一度だけ優しく戦略を練り直すつもりです。
明日はまた、現場の書類を美しく整え、天候の隙間を縫うように新しい現場の段取りを力強く差配する実務の朝がやってきます。
大人のカンニングの知恵を少しだけポケットに忍ばせて進む明日は、きっといい日になりそうだ。
それでは、また明日。
