昨日は、仕事に向かう私と「連れて行って!」とせがむ子どもたちとの、朝の熾烈な外交交渉についてお話ししました。

無事に(?)一人での出陣を勝ち取り、迎えた日曜日。ようやく訪れた家族との安らぎの時間……のはずでしたが、そこにはビジネスや現場仕事よりも頭を悩ませる「三目並べ」という名の深淵が待っていました。

「パパ、本気出しすぎ!」 「これじゃあ遊びじゃなくて勉強会だよ」

子どもにそう呆れられながらも、私はなぜ、たかがボードゲームに、そして趣味の音楽に、ここまで熱くなってしまうのか。今日は、「遊びに本気すぎる大人の生存戦略」と、そこから見えた「信頼を勝ち取るための責任感の正体」についてお届けします。

「クソゲーよ」——分析しすぎてゲームを壊してしまった、パパの休日


今日の日曜日は、家族で選挙の投票へ行くという、社会科見学のような穏やかなスタートを切りました。 しかし、帰宅後に始まった子どもたちとの「三目並べ(進化系)」で、私のスイッチが入ってしまいました。

単に並べるだけでなく、大きなコマが小さなコマを飲み込む戦略性の高いそのゲーム。私はつい、脳内の「管理者モード」をフル回転させ、必死に勝利への最適解を弾き出してしまったのです。

「中央にこのサイズのコマを置けば、先手必勝のパターンになるな……」

無言で盤面を制圧し、導き出した結論は「クソゲー(ゲーム性が崩壊している)」。 娘からは「パパがやるとゲームじゃなくて勉強会になるから、面白くない!」と手厳しい一言を食らいました。でも、私にとって「楽しむ」ことと「本気で攻略する」ことは、切っても切れないセットなのです。昼食に作ったナポリタンの塩加減を「成功レベルの失敗」をしてしまったことさえ、自分の中では一つの真剣な「検証データ」になります。

そんな私の「本気」は、午後のバレンタインコンサートでも炸裂しました。 ステージで仲間と音を紡ぎ、お客さんから「いいアンサンブルですね」と褒められたときの、あの魂が震えるような充足感。

その一方で、私の心には小さな、けれど鋭い棘(とげ)が刺さっていました。 直前でイベントを欠席した若いメンバーの存在です。 私のような「昭和の価値観」を持つ人間にとって、一度引き受けた役割を全うすることは、呼吸をするのと同じくらい当たり前のこと。

「責任感を伴って一緒に活動ができるやつとしか、次は組めない」

遊びだろうが趣味だろうが、「誰かと何かを成し遂げる」という場において、責任感は最低限の入場チケットなのだと、改めて自分に刻んだ一日でした。

「遊び」を「価値」に変え、信頼を積み上げるための3つの知恵


趣味や日常の些細なことに、つい本気になりすぎて疲れてしまうあなたへ。

「分析」は最大の敬意であると知る ゲームを攻略しようとしたり、趣味のクオリティを突き詰めたりするのは、その対象を真剣に愛している証拠です。娘に「勉強会」と言われても、それはあなたが「物事の本質を掴もうとする習慣」を持っているからです。その習慣は、必ず本業のトラブル解決や効率化に役立ちます。

「成功レベルの失敗」を笑い飛ばす パスタの塩加減を間違えるような小さなミス。それを「ダメな自分」と責めるのではなく、「次はこうしよう」というユーモア混じりのデータとして蓄積しましょう。完璧主義を「実験精神」に置き換えるだけで、日常のストレスは劇的に減ります。

信頼の土台は「期待を裏切らないこと」にしかない 音楽の練習も仕事の現場も、最後は「そこにいてくれるかどうか」という信頼感で決まります。能力の高さよりも、「この人は逃げない」という安心感を提供すること。それが、複雑な人間関係の中であなたが「選ばれ続ける」ための最強のスキルになります。

サニーレタスと、ピンクの上着と、月曜日の予感。


一日の終わり、昼食で余ったレタスの使い道を考えながら、ふと気づきました。 次女がどこかに置き忘れてきたピンクの上着を探すこと、調子の悪い楽器のピストンを磨くこと、そして明日の現場の段取りを組むこと。

私たちの人生は、こうした「小さな責任」の積み重ねでできています。 三目並べを「クソゲー」と呼ぶほど本気で考え、仲間との演奏に魂を燃やす。そんな暑苦しい大人の姿を、子どもたちはきっと横目で見ながら、何かを感じ取ってくれているはずです。

さて、明日は月曜日。 「遊び」でフル稼働させた脳を、今度は「現実」の舗装工事や事業の数字に切り替える時間です。

皆さんの明日が、自分の信念を曲げず、本気で向き合える何かに出会える一日になりますように。

それでは、また明日!