【あの日からの地続き】

虹色の水飛沫をあげながら子どもたちと愛車を洗った、あの上機嫌な週末の記憶。その眩しい余韻を心の引き出しにしまい込み、新しい週の幕が開くと、現実の数字と格闘する経営者としての朝が私を待ち受けていました。

【日常の輪郭】

午前中はデスクに向かい、会社の財務書類と睨み合っていました。 「あのとき、プロのアドバイザーの言葉を鵜呑みにせず、この節税策をバシッと打っておけば、驚くほどの税負担を抑えられたのに……」 過去の判断に対する苦い後悔が頭をよぎり、ため息が漏れます。さらに、母親が担当する経費の精算作業でも、買った備品が現場用か事務所用かが分からずに滞るというもどかしさ。「何に使ったか分かってないし、新しいことを覚える気もないから話が進まんのよな。これならネットの巨大通販で私が注文から処理まで全部完結させてしまった方がどれだけ楽か」と、心の中で少しばかりの苛立ちを覗かせていました。

しかし、そんなもやもやを抱えながらも、私の手と口は止まりません。決算月である来月中にきっちり滑り込ませるため、大型重機のキャタピラ交換や足回りの修理を請け負う業者へ電話を入れ、請求書のタイミングを的確に指示。さらに入札用の電子認証機器の期限切れを見つけて更新の手配を転がしたり、地域の悩みの種である不法投棄を撲滅するために「空き家の軒下にゲリラ的に防犯カメラを仕掛けるネットワークを作ったら面白いぞ」と、斬新なアイデアを膨らませたり。

けれど、そんな風に頭をフル回転させている日中の時間の裏側で、私を一番忙しく、実質的に幸せにしていたのは、子どもたちの送り迎えや世話という、父親としてのささやかな任務でした。

夜、静かになったリビングで、カバンを整理していたときのこと。次女の荷物の奥から、くしゃっと折れ曲がった一通の手紙が出てきました。 「あれ、これ幼稚園の先生に渡すはずの手紙じゃないか?」 見つかった途端にバツが悪そうな顔をする次女。どうやら先生に直接手渡すのをすっかり忘れて、そのまま持って帰ってきてしまったようです。私は怒る代わりに、彼女の小さな肩を優しく抱き寄せ、手紙のシワを丁寧に伸ばしながら諭しました。 「いいか、明日は朝一番に、先生に『はいどうぞ』って必ず渡すんやで。約束や」 こっくりと小さく頷いた娘の髪を撫でると、昼間の会計処理のストレスなんて、綺麗さっぱり消え去っていました。

思考が優しい静寂に包まれるなか、私はいつものように自分のフルネームを心の中でポツリと呟いていました。過去の節税の失敗を悔やみ、事務処理の非効率さに愚痴をこぼしている不器用な代表。けれど同時に、小さな手紙の渡し忘れを優しく正してやっている、ただの父親。あの日の私の、少し不器用で、けれど温かい体温がそこにありました。

【その瞬間のきらめき】

未来の私が人生の終盤にこのページをめくるとき、あの決算期にどれだけの節税ができたかとか、重機の修理費がいくらだったかなんて、きっと一つの数字の破片すら覚えていないでしょう。 覚えているのはきっと、夜のリビングの明かりの下で手渡された、あのシワの寄った小さな手紙の感触だけです。どれだけ会社を大きくし、合理的なシステムを組み立てようとも、私たちが本当に守り、正してやりたいものは、子どもの小さな約束事のなかにしかありません。完璧ではない泥臭い日々の中で、その小さな手紙の一通を大切に思う心こそが、人生の最大の資産なのだと、あの日の私が静かに教えてくれています。

【明日へのあしあと】

娘が枕元に大切そうに置いた手紙を見守りながら、明日の朝一番の段取りを静かに整えています。彼女が恥ずかしがらずに先生へ手紙を渡せるか、車のバックミラー越しに見届けるという小さな楽しみを胸に。

明日はまた、期限の切れた認証機器の更新手続きを済ませ、来月中に重機の請求書をきっちり回収する現実のビジネスが待っていますが、今の私の足元は少しもぶれていません。

小さな手紙の約束を胸に抱いて進む明日は、きっといい日になりそうだ。

それでは、また明日。