【夕暮れに飛んだプラスチックの翼と、小さな吹奏楽部の宣言】
【あの日からの地続き】
「最速で100回失敗してこい」と子どもたちに熱弁を振るい、プレッシャーこそが人をダイヤモンドに変えるのだと語り合った昨日の余韻。コンクールに向かう私を快く送り出してくれた妻の優しい頷きを胸に迎えた朝は、まさにその「高圧」が、経営者としての私に真っ向から襲いかかってくる一日となりました。
3. 【日常の輪郭】
「あんなにあったはずなのに、一体どこへ消えてしもたんや……」 午前中、事務所で資金繰りの一覧表を睨みながら、私は胃がキリキリと痛むようなプレッシャーと戦っていました。協力会社からのまとまった未回収の請求が重なり、来週には大きな支払いの期限が容赦なく迫ってくる。手元を圧迫する現実を前に、金融機関へ駆け込んでまとまった支援を仰ぐ段取りを冷徹に組み立てていました。「もう、いっそのこと地元の大手にうちの事業を丸ごと買ってもらって、身軽になってしまおうか」なんて、不器用な弱音が頭をよぎる瞬間すらありました。
さらに、鳴り止まない電話のベル。些細な確認事項で何度も手を止めさせる取引先に、「頼むから後から見返せるメールでやり取りを残してくれよ……」とため息をつきつつも、来週から走らせる新しいダンプカーの保険手続きをテキパキと電話で捌いていく。
けれど、そんな怒涛の現実の荒波は、夕暮れ時の我が家の玄関を開けた瞬間に、嘘のように静かな凪へと変わりました。
リビングに広げたのは、昨日から立体造形機(3Dプリンター)でコツコツと削り出していた、手のひらサイズの小さなプラスチックの飛行機。 「パパ、これ本当に飛ぶん?」 半信半疑の子どもたちの前で、そっと指先から押し出すと、軽やかな機体はリビングの温かい空気をつーっと滑空し、見事な放物線を描いて着地しました。 「うわっ! めちゃくちゃ飛ぶやん! パパ、すごい!」 目を丸くして大はしゃぎする子どもたちの弾けるような歓声。
その熱狂のさなか、長女が私の顔をじっと見つめ、少し照れくさそうに、けれど誇らしげに言いました。 「パパ……私な、大きくなったら吹奏楽部に入りたいんよ」
そのまっすぐな一言が胸に飛び込んできた瞬間、昼間の胃の痛さも、資金繰りの重圧も、すべてが爽やかな風となって吹き飛んでいくのを感じていました。自分が情熱を傾けてきた音楽の世界へ、愛する娘が自ら歩み寄ろうとしてくれている。親として、これ以上の喜びがあるでしょうか。
思考の激しい高低差を飛び越えていくたび、私はいつものように自分のフルネームを、まるで散らかった感情をピシッと整える句読点のように、心の中で静かに唱えていました。
資金繰りの表を前に頭を抱え、事業の売り出しまで頭をよぎらせている、泥臭くあがく代表。けれど同時に、自作の飛行機を飛ばして誇らしげに胸を張り、娘の吹奏楽部宣言に目尻を下げている、ただの愛おしい父親。 心の中で呟くその名前は、どんな荒波に揉まれようとも、私が帰るべき「一番大切な場所」の重心をピシッと引き戻してくれる、確かな心のアンカーでした。
4. 【その瞬間のきらめき】
未来の私が人生の終盤にこのページをめくるとき、あの日どれほど資金繰りの数字に胃を痛めていたかとか、失効しそうな電子ポイントを急いで使い切ったことなんて、きっと記憶の砂漠に埋もれて思い出せもしないはずです。 覚えているのはきっと、リビングの明かりの下で夕暮れの風に乗ったあの小さなプラスチックの翼と、「吹奏楽部に入りたい」と言った長女の眩しい瞳だけです。会社を守る重圧も、逃げ出したくなるほどのプレッシャーも、すべてはこの愛おしい家族の笑顔と、夢を語り合える日常を守り抜くための、誇り高き戦いなのだと。高圧がかかるからこそ、私たちの毎日はダイヤモンドのような輝きを放つのだと、あの日の私が静かに教えてくれています。
5. 【明日へのあしあと】
すっかり夜も更け、眠りについた子どもたちの部屋のドアをそっと閉め、静かなデスクで明日のささやかな段取りを整えています。今月の終わりに消えてしまうわずかなポイントを忘れずに使い切り、週明けから現場に投入する新しいダンプの保険書類をクリアファイルへとカチッと揃えました。
明日は朝一番から隣町のホールへ向かい、いつもの仲間たちと本気で音を重ね合わせる、熱い合奏の時間が待っています。
娘に誇れる美しい響きを胸に抱いて進む明日は、きっといい日になりそうだ。
それでは、また明日。
