【空っぽの楽器ケースと、お醤油の海を泳ぐ自由な魚たち】
【あの日からの地続き】
「楽に吹いて、自然に音が出る方がいいんや」と、夜の練習室で仲間に優しく語りかけ、お気に入りの長ズボンとスニーカーを枕元に用意して眠りについた夜。あの心地よい脱力の教えとは裏腹に、私の特別な日曜日が、朝一番の賑やかな家族のゲーム時間から一気に幕を開けました。
【日常の輪郭】
日中は、かねてより準備を重ねてきた大切なファミリーコンサートの本番という、大きな山場を迎えていました。 ステージの裏側、楽屋の熱気と独特の緊張感のなか、私は演奏者として、そして全体を率いる裏方として、リハーサルから本番の最後の1音まで全エネルギーを注ぎ込んでいました。合奏中、低音のタイミングがほんの少しだけ後ろにずれているのを見逃さず、全体の響きをカチッと整えるために的確なフィードバックを飛ばす。
しかし、無事に終演を迎えた瞬間、私の胸を占めたのは、達成感と同時に、自分自身への容赦のない悔しさでした。 「あのスタンドプレー、なんで最後の最後で外してしもたんや。みんなには偉そうなことを言っておきながら、自分の中であれだけは絶対に許せん……」 完璧を目指して尖り続けていたからこその、泥臭い自己嫌悪。おまけに、全ての緊張の糸が切れた途端、視界が歪むほどの猛烈な頭痛が容赦なく襲いかかってきました。「あかん、頭痛が痛すぎる。どうしよう、歩けんわ……ヤバい、これは死ぬかもしれん」と、空っぽになった楽器ケースにすがるようにして、私はなんとか帰路につきました。
夜、限界を迎えた身体を引きずるようにして、家族みんなでいつものお寿司屋さんへと向かいました。 「パパ、今日はいっぱい頑張ったから、ちゃんとお肉にしなさい!」と子どもたちに勧めつつも、本音では「パパもね、今日はどっちかって言うとお寿司の気分なんだな」とこぼしてしまう、そんな他愛のない会話でテーブルが和みます。
すると突然、自由奔放な次女が、小皿のお醤油をそのままゴクゴクと飲もうとする突飛な行動に出ました。私は慌ててそれを遮り、少し大げさな例え話で優しく、そして可笑しく諭し始めました。 「こら、なんでお醤油を飲んだらダメか教えてやろう。喉が渇いて夜中にいっぱいお水を飲んで、おしっこが止まらなくなって、最終的には病院に行って痛い注射をされなきゃならんようになるんやぞ。パパなんか昔、足を骨折して入院した時、それでも毎日注射されよったんやからな」 その必死の脅し文句を、キョトンとした目で聞き流す次女。周りの大人の顔色を窺って「これでいい?」と同意を求める慎重で賢い長女とは真逆で、何を聞かずとも自分の意志でどこまでも奔放に突き進む次女の姿を見つめていると、将来「私は絶対に宿題なんかセんぞ!」と言い放ちそうな頼もしさが愛おしく、頭痛の痛みも少しだけ和らいでいくようでした。
湯呑みから立ち上るお茶の湯気の向こうで、今度は妻が自分のこれからの仕事について、小さく悩みをこぼしていました。私はお寿司を口に運びながら、自分の歩んできた泥臭い経営の哲学を、熱を込めて語りかけていました。 「いいか、今もし本当に苦しいんなら、変なプライドを全部捨てて『今、私、弱っとるんです。助けてください』って周囲に正直に言ってみたらいい。自分の弱さを素直に打ち明けた瞬間に、世界は不思議と好転して、誰かが必ず手を差し伸べてくれるもんや」 さらに、安定した守られる場所を捨てる覚悟があるなら、膨大な時間と情熱を投下すれば何をやったって稼げるということ、そして薄利多売の歯車になるのではなく、自分の大切な時間と技術を最高に高く評価してくれる富裕層向けに、高付加価値な仕事を仕掛けていくべきだという、商売の本質。
思考の深い底で、本番の1箇所のミスを激しく悔やみ、妻の悩みに熱弁を振るっている、相変わらずせっかちで不器用な代表。けれど同時に、お醤油を飲もうとする娘を大げさな嘘でなだめている、ただの父親。あの日の私の、限界を超えて燃え尽きた、けれど最高に幸せな体温が、その食卓に確かに流れていました。
【その瞬間のきらめき】
未来の私が人生の終盤にこのページをめくるとき、あの演奏会でどんなミスをしたかとか、妻にどんなビジネスモデルを語ったかなんて、きっと小さな音符の破片ほども覚えていないでしょう。 覚えているのはきっと、頭を抱えるほどの激しい痛みのなかで、お醤油の小皿を前に繰り広げた、あの可笑しくてたまらない娘との問答だけです。完璧なステージを作るために自分を追い詰める情熱も素晴らしいけれど、自分の弱さを認め、家族の前で「もう歩けんわ」と笑ってみせる素直さのなかにこそ、人生の本当の抜きどころがありました。文化庁が支援してくれる子ども向けの特別な舞台公演のチケットを見つけて、「よし、次はみんなでこれを観に行こう」と未来の約束を交わしたあの夜の温もりが、あの日全力を出し切った私への、何よりのご褒美だったのだと気づかされます。
【明日へのあしあと】
子どもたちがそれぞれの個性を枕元に転がして深い眠りについた夜、私はリビングの静寂のなかで、静かに頭痛薬を飲み込んでいました。 明日の朝一番には、少し面積が変わってしまった現場の修正見積もりをメッセージアプリできれいに送り届け、今週末から始まる大切な農道の修繕工事に向けて、作業員の配置を力強く差配する現実の朝がやってきます。来週からの大きな公共工事に向けて、天候の神様と睨み合いながらスケジュールをカチッと組み替えるタスクも残っていますが、今の私の心は、空っぽになった楽器ケースのように、清々しく澄み切っています。
自分の弱さをも愛おしみながら進む明日は、きっといい日になりそうだ。
それでは、また明日。
