【あの日からの地続き】

南国から連れて帰ってきた温かい記憶と、娘のすり減ったサンダルの愛おしさをリュックの底にしまったまま、私の日常はいつものテンポを取り戻しました。旅の魔法から覚めた途端に動き出す、容赦なくも充実した現実のアンサンブルが、再び始まります。

【日常の輪郭】

朝の我が家の騒がしい日常を通り抜け、日中は頭のてっぺんまで音楽の海のなかに潜り込んでいました。

間近に迫った大きなコンサートの演出を練り上げる時間は、最高にスリリングで創造的です。「昭和と平成のアイドル歌謡対決」で客席の拍手を巻き起こす仕掛けや、ただステージに並ぶのではなく、通りすがりにインタビューをしながら一人ずつ入場してくる演出。スクリーンに最新のデジタルコードを映し出して新しい繋がりを作る試みなど、観客の心を震わせるためのアイデアが次から次へと溢れ出てきます。聴衆のドリームを動かすには、圧倒的な熱量と、壁を突き抜けるほどのクオリティが絶対に要る。それが私のエンターテインメントへの譲れない哲学でした。

午後は、演奏の壁にぶつかって悩んでいる楽団の仲間のために、測定器を並べて1時間半に及ぶ臨時の個人レッスンを行いました。 「人に教えるっていうのは、どう表現するかを徹底的に考えるから、実は自分が一番勉強になるんやな」 そんな心地よい手応えを感じていた矢先、別の仲間たちがふと口にした言葉が、私の心の琴線に激しくピリッとした冷たい風を吹かせました。

「私たちはどうせ主役じゃないし、二番パートだから何とかなるよね」

その諦めに似た言葉に、私は強い苛立ちと、深い悲しみを覚えていました。主役も脇役もない。その音がなければ全体の和音は崩壊する。役割の重さを自分で値切ってしまうのは、下手になる最初の一歩であり、音楽の本質を見失っている証拠です。

ここ最近、日々の忙しさに追われて自信を失い、気づけば「自分なんて」という言葉が口癖になりかけていた自分に対しても、猛烈に腹が立ってきました。「何を縮こまっているんだ」と。

「もう、他人のために使う時間を、自分のために使おう。誰かのためじゃなく、私はプレイヤーとして、もうちょっと上の景色を目指して自分自身にコミットする」

夜、再び集まった楽団の全体練習で、楽器を誰よりも早く構え、音の芯を深く響かせながら、私は心の中で静かに、けれど明確に自分自身への宣戦布告をしていました。

【その瞬間のきらめき】

未来の私が人生の終盤にこのページをめくるとき、この日、私が下した強固な決意を、震えるような愛おしさで思い出すはずです。 誰かの面倒を見たり、組織をまとめたりする「優しいリーダー」の顔に隠れて、プレイヤーとしての自分の牙を忘れるなと、当時の私は必死に抗っていました。実は今日、事務的な業務報告のようだったこの記録を、「自分が死ぬ前に読み返して一番懐かしめる物語」へと新しく書き直すことを決めたのも、その飢餓感の表れでした。

思考の深い底で、私は自分のフルネームをそっと呟いていました。完璧ではない、自信を失いかけて足掻いている泥臭い男。けれど、音楽の前でだけはどこまでも貪欲に、本質を求めて尖り続けようとしたあの日の私の体温が、この拙い言葉の行間に確かに息づいています。

【明日へのあしあと】

夜の合奏練習を終え、楽器をケースに片付けた心地よい疲労感のなかで、まだいくつかの小さな現実が私の帰りを待っています。

母校のOB会に送るための大量の封筒に宛名シールをペタペタと貼る地味な作業や、コンサート当日に指揮台から映し出すプロジェクターの映像が「長いケーブルのせいで遅延するかもしれない」という、前日テスト必須の厄介な技術的課題。それらすべてを愛嬌のあるハードルとして抱き締めながら、我が家の明かりを目指します。

自分の音をもう一段高く響かせるための明日は、きっといい日になりそうだ。

それでは、また明日。